2010/05/30

どこまでデザイン

建築意匠について。一学生のボヤキです。

建築は依頼主である施主がいて初めて設計ができます。つまり、デザインして、施主のオッケーを貰えて初めて建物が建つわけですね。細かい話をすれば法律とか、構造が成り立つかとか色々ありますけど、そもそもは施主に納得されることが大事なのです。

施主の為に考えて、施主の気に入る建物をつくる。施主が実際に使う住宅の場合はそれでもよいでしょう。ただ、施主だけでなく他の人たちも使う、公共建築の場合はどうでしょうか。自分は使う人のため、よかれと思ってやったことが施主はダメだという。そこには両者なんらかの理由があるはずですが、とにかく施主が納得しないことには話は進みません。

要は施主が気にしてしまった時点でその不安を解消してあげなくてはならないのです。こうこうこういう理由でこんな形になっているのですよ、と。その理由に施主が納得すればいいのですが、納得しなかった場合はどうするのでしょうか。形が気になるというよりはコストや出来上がるまでの時間の方が気になったりするのかも知れませんが・・・。使う人のことを考えていれば施主もわかってくれるというのは随分と甘い考えのような気がします。

一方で、使う人のことを考えたデザインは使う人が便利と思う、とは一致しません。ちょっとくらい不便があっても、それを上回る効果があるならそれは立派なデザインです(不便がないのが一番ですが)。しかしそれはとても控えめで、ぱっと見では伝わりにくいものなのかも知れません。その場合、不便さだけが目に付いて悪いデザイン認定されてしまうこともあります。

いいデザインとは何でしょうか?施主が納得するデザインがよいデザインでしょうか?使う人が便利と思えばよいデザインでしょうか?プロダクトデザインでは使って楽しいのがいいデザインだと思っていますが、空間を扱う建築ではどうなのでしょう。

過ごしていて楽しい、なんていうのは空間を共有している人間同士で行われるべきことで、建築でやるべきことでは無いというのが僕の考えです。ただ、空間にいる人たちが自覚をしていなくても、どこかで影響を受けている、というのはあると思います。そこまで考えたとき、果たして人を納得させられるロジックをつくれるかどうか。「自覚はないけど、こんな効果が生まれるんだよ!」・・・なんだかとてもうさんくさい。

かといって理屈で説明できることって建築の物理的な話だけだと思うんですよ。壁があるから視線が遮られるとか、段差があると見晴らしがよくなるとか。その物質が、どのように人に作用していくのかとても興味があります。物質の人に対する効果が、果たして人同士の行為にまで及ぶのかどうか、これからじっくり考えてみたいですね。

2010/05/02

「現代建築家20人が語る いま、建築にできること」


こんばんは、アキレスです。

「現代建築家20人が語る いま、建築にできること」を読了しました。





現代建築家20人が語る いま、建築にできること

現代を代表する20人との対談集です。個人的に大好きなピーター・ズントー、セシル・バルモンドらがいるのを見た時点で気が付いた時には購入していました。まだ全員分は読んでいませんが、好きな建築家の部分だけつまみ食いするだけで充分刺激的な内容です。

読んでいて思ったのは、ほとんどの人が建築で人々の心に何かを訴えることができると信じているのだということ。かと言って何か訴えるメッセージがあるというわけでもなく、本当にさりげなく影響を与えているのです。たぶんこう書くと語弊があるでしょうが、端的に言えばそういうことだと思います。僕は建築はあくまで物質であり、物質として人々に影響を与えることはあっても、それ以上はないと思っていたところだったので、脳みそを殴られた気分です。

建物というのは日常的に使っているものだから、人間は居合わせたその空間に、無意識であろうとなかろうと、多かれ少なかれ影響を受けています。いい空間に居ればいい発想が生まれる。いいペンを握ればいい絵が描ける、みたいな文句を、この本の人たちは大真面目に話しているように思います。

そんな共通点を感じながらも、みんな言うことがバラバラで、中には具体的な建築家名を挙げながら話をしていたりもして、その建築家がどんなスタンスなのかがわかりやすくて面白かったです。